意識が世界を創造する(相互入れ子構造による宇宙の多重創造論)
前回の『真理について要点を整理する(ふたたび非二元とはなにか?)』という記事で、『存在=意識』ということを述べました。
なにかが存在しているということは、それが「認識(意識)されている」ということを同時に意味しています。
今回はこのことから、宇宙はどのようにできているのかということを考えていきたいと思います。先にお伝えしておきますと、これから述べていくことは仮説でしかありません。ただし、真理にもとづいた仮説です。真理が言葉によって完璧に説明することができない以上、宇宙の完璧なモデルを言語で表現することもまた不可能でしょう。ゆえに仮説ということになります。
しかしながら、これから提案するモデルはおそらくこれまでに誰も明確に描いたことのないものです。これを理解すれば世界の見え方が画期的に変わるだけでなく、人生における様々なできごとを読み解いたり、問題に対してどう取り組むべきかを考えるうえで非常に役立つはずです。少々難解な概念なので、細かい理論的根拠はなるべく省いてイメージで理解できるように説明していきます。
では、まず冒頭に引用した『なにかが存在しているということは、それが「認識(意識)されている」ということを同時に意味している』ということからはじめていきましょう。
まず、意識という言葉がなにをあらわしているのかについて考えておきます。意識と心は同じものとして扱われることが多いと思います。実際、日常生活のほとんどの場面では、それで問題ないでしょう。しかし、ここでは意識のことを「気づきのスクリーン」と考えてみてください。
心とは、視覚などの五感からくる情報や、思考、感情、イメージ、記憶といったものが複雑に織りなす、気づきのスクリーン上のコンテンツのことです。すなわち、心は意識のコンテンツであり、意識は心のコンテクスト(背景)ということができます。
ところで、わたしたちはこの世界を直接観ていません。わたしたちが観ているのは世界そのものではなく、感覚器官から受け取った情報をもとに脳が作り出した世界像なのです。ですから、たとえば脳の視覚を司る部位に、りんごを見たときにその部位が受け取るのと同じ情報を電気的に伝えてやると、その人は目の前に存在しないりんごを見ることができます。映画『マトリックス』の発想もこれとおなじことを説明しています。
ポイントは、脳が作り出したのはあくまで『像』であって、その像を存在させているのは意識であるということです。
また、脳は夢と現実を区別しないそうです。ですから、目を覚ましているときに経験しているこの世界が意識の上に映し出された現実であるのなら、夢の中で経験する世界もまた現実であると言えます。ただ、これについては後で詳しく述べますが、どちらにより現実感があるかといえば目を覚ましているときの現実の方ですから、こちらが現実で夢は夢だとわたしたちは考えています。
目を覚ましているときには夢の世界の現実は存在しませんが、これは夢を見ているときにはこちらの現実も存在していないことを意味しています。どちらも意識のスクリーンにあらわれた像にすぎないわけですから、両者は現実感の違いはあれどどちらも現実であり、一方の現実があらわれているときは他方の現実は存在しないということです。また、熟睡しているときには意識のスクリーンにはどんなコンテンツもありません。したがって、熟睡時にはどんな現実もありません。
現実とは、世界を経験しているということですから、夢を見ているときや熟睡時にはこの世界は消失しているということになります。逆にいうと、わたしたちは目を覚ますたびにこの世界を創造しているということです。同じように、夢を見るたびに夢の世界を創造していますが、夢の世界は毎回違いますね。似たような夢をみるときも、その世界は少しだけ違っていたりします。これも後で説明しますが、目を覚ましているときの世界がなぜ毎回、こんなにしっかりとして一貫性のある世界なのか? というところが重要なポイントです。そしてさらに、熟睡時にはどんな世界も存在しません。なぜなら熟睡時の意識は休止しているからですが、この休止中の意識の状態こそが、すべての存在の基盤です。
ようやく最初のところに戻ってきますが、これが『存在=意識』ということです。どんなものであれ、それはすべて意識の上、もしくは意識の中に創造され、存在しています。ラメッシ・バルセカールは『存在するすべては意識であり、意識は存在するすべてである』という一言で真理を指し示しましたが、それはこういう意味です。つまり、この世界、この現実は意識が創造し、意識が存在させていると同時に、この世界のすべては意識である、意識でできているということです。
ところで量子物理学によると、量子(科学の世界における物質が存在する基盤といえます)は粒子であると同時に波であるそうです。粒子である、というのは固体であるという意味で、これが物質の素といえます。波である、とは一定のパターンで伝わっていくエネルギーの状態であり一種の情報とも言えます。そして奇妙に思えることに、量子は観測されるまでは波の状態で存在し、観測されると粒子化するのだそうです。観測とは要するに「気づく」ということですから、この物質世界は科学の目でみても「気づかれることで物質的に存在している」と言えるのです。
ここまでの話は、実をいうとわたしが最初に述べるものではありませんでした。「見ているときだけ世界は存在し、見ていないときは存在していない」「つまり、わたしが死んだら世界は消えてなくなる」という話は、聞いたことがある人も少なくないと思います。それについてすこし詳しく説明したのがここまでのお話でした。本題はここから先になります。
はたして本当に、「わたしが死んだら世界は消滅する」のでしょうか? このことが説明しきれないので、この話は「もしそうだったら面白いね」という感想以上のものがなかなか語られてこなかったのでしょう。
正解はというと、「わたしが見ていないとき、わたしの世界は存在していない」ということになります。わたしが見ている世界はわたしが創造しているのですから、わたしが見ていないとき(気づいていないとき)その世界は存在していません。しかし、あなたが創造しているその世界には、他の人間や動物、植物や水や石ころが存在しています。これらはすべて意識の上に存在していると同時に意識で出来ています。ですから、それらのすべてが気づきのスクリーンを持っているということになります。
気づきのスクリーンとしての意識を持っているということは、そのスクリーン上に世界を創造できるということを意味しています。つまり、あなたの世界の住人たちもまた、それぞれのやり方でそれぞれの世界を創造しているのです。
しかし、それはおかしいと思いませんか? そうだとするなら、彼らから見たあなたは彼らが創造した世界の住人であるということですから、彼らのうちの誰かが熟睡してしまったら、あなたは消滅してしまうことになるはずですよね。しかし、あなたはおそらく自分自身が消滅するということを体験したことはないはずです。わたしにも、そのような体験はありません。では一体、これはどういうことなのでしょうか?
これを説明していくために、わたしたちが生きている舞台であるこの地球が宇宙空間に生まれるところから順を追ってみていきましょう。
0次元の気づき(0次元意識)
宇宙空間のなにもない部分は真空であると言われていますが、真空とは時空間以外になにも存在しない場所と考えてください。物質は意識の中に存在していますから、時空間とは意識そのものです。つまり、宇宙とは意識の海のようなものと言えるでしょう。気づきの対象となるコンテンツのないこの真空の状態を、気づき(意識)の次元としてはゼロ次元とします。
1次元の気づき(1次元意識)
真空の宇宙空間に、超新星爆発によって放出された重い原子が集まってきて、原始惑星としての地球が生まれました。何億年かたって、地球の表面には大きな岩や石がごろごろした陸地と、海ができました。でもまだ生命は誕生していません。陸地を作っている鉱物や海の水といったものも意識でできていますから、それ自体が存在しているという意味で1次元の気づきを持っているといえます。すなわち、この頃の地球は1次元意識の環境であったということになります。世界としては、地球意識が創造している、ただひとつの世界だけがありました。
1次元意識の環境においては、他者から気づかれるということがまだありません。ですから、量子論がいうように、この世界はまだ物質的状態と波動としての状態の重ね合わせで存在しています。可能性として存在していると言ってよいかもしれません。このときの地球を、たまたま宇宙船で通りかかった異星人が観測するときには岩石と海だけの惑星がそこに見えていますが、彼らが去ってしまうと元の可能性の状態に戻ってしまいます。
2次元の気づき(2次元意識)
やがて地球上に植物や微生物があらわれます。こうした生物は周囲の環境に気づいていますから、植物や微生物が地球上を覆い尽くした時点で、ようやく地球世界はつねに気づかれている(つねに物質的に存在している)状態になります。これを2次元の気づき、2次元意識の世界と呼びます。2次元の気づきとは、自分と世界に気づいているということですが、2次元意識の下部ではまだ明確な自己意識はなく、世界は単に世界であって、世界と他者というような区別も存在していません。したがって、ここでは地球意識による基本の世界の上に、植物や微生物の種ごとのぼんやりとした世界が折り重なっています。
やがて昆虫や両生類、爬虫類といった下等動物があらわれます。この時点で生きていくために獲物を捕らえたり、種を存続させるために交配を行うようになり、個別性が意識にあらわれていき、個体ごとに世界を認識する(=創造する)ようになっていきます。それぞれの個体が創造する世界は範囲も狭く、存在の強度も弱いのですが、彼らの世界は地球意識と植物や微生物の意識によって創造された世界(1次元意識の世界)を基盤にしているため、より安定しています。ですから、ある個体が死んでも世界は存在し続けます。また、個体数が爆発的に増えていくことで、個体同士の世界が密接し、次に重なっていきます。
世界が重なるということは、世界を共有していると言い換えることができます。地球意識と植物意識も世界を共有しているのですが、この場合は単に重なっているという感じです。これは、この地球世界の存在基盤といえます。その上で動き回る下等動物たちはまず1次元世界を存在の基盤として共有し、個体ごとに世界を創造し、かつその創造した世界の中で、他の個体と出会います。このとき本当は個体と個体が出会っているのではなく、それぞれの世界が出会っているのです。これによって、二つの世界に共通の部分が生じます。これが世界の共有です。
ある個体が熟睡しているときにも、熟睡しているその個体の世界を他の別の個体が共有していれば、熟睡している間も共有されているものは存続しています。そもそも1次元意識の世界が基盤にあるため、2次元意識のどんな個体の個別世界も完全には消滅しませんが、ほかの個体と共有されていない部分はその存在が揺らいでいるはずです。しかし下等動物が創造している世界とは地理的な情報と本能的な行動パターンなどが主ですから、失われるのは地図データがほとんどかもしれません。
たとえばある個体がとても素晴らしい餌場を見つけましたが、誰にも教えていないとします。この個体が別の個体と世界を共有していますが、別の個体はさらに別の個体とも世界を共有していて、全体としてこの地域の同じ種の動物たちがひとつの世界を共有しています。このとき、最初の個体が生きているうちは、たとえ教わらなくても他の個体もこの餌場を見つけられる可能性が高まっていますが、もし最初の個体が死んでしまったら、その餌場は誰にも知られることがないかもしれません。
やがて哺乳類などのより進化した動物たちが出現しはじめると、2次元意識の世界はより複雑に共有されていきます。共有の複雑さ、綿密さが増すほど、共有されている世界全体の存在性は確固たるものとなっていきます。これは、それぞれの世界においては現実感(リアリティ)が増していくということでもあります。
これが、夢の世界よりも目を覚ましているときの世界の方が現実に思えるということの理由です。つまり、意識が創造する世界は重なれば重なるほど、よりリアルになっていくのです。夢の世界は基本的に自分ひとりで創造しているため、現実味が乏しいのです。夢の中で空を飛べたり奇妙なことが起きたりするのは、その世界では多数の存在によって合意(=共有)された物理法則が存在しないからです。
夢の中に、目を覚ましている世界での知り合いが登場するときには普段よりも夢が鮮明に感じられることがあると思います。こういうときは、その相手の人も同じ夢を見ているかもしれません。また、とても夢とは思えないほどリアルで、なにか特別な感じのする夢を見ることもあります。これは、もしかしたら人知を超えたなんらかの存在が創造した世界に招かれたか、あるいはあなたの夢の世界にそうした存在が介入してきた可能性があります。
ここまでで、この宇宙の構造がある程度みえてきたと思います。大雑把にまとめると、地球という惑星(ほかの惑星でも同じです)では、惑星意識が創造した基盤となる世界の中に動物たちや人間がそれぞれに創造した世界が相互に入れ子になって重なりあっているということです。これを「相互入れ子構造による宇宙の多重創造論」と呼ぶことにします。ちょっと長いですが。
3次元の気づき(3次元意識)
そして、とうとう人間が出現します。人間には動物にはない意識があります。それは抽象的にものごとを認識することです。この意識によって、さまざまな概念があらわれ、それを互いに伝えあうために言語が生み出されていきます。人間はこの抽象的思考によって目の前の物理世界(2次元意識の世界)を拡張するかたちで新たな意識次元である「内面世界」を創造することができます。すなわち人間は3次元の気づきを持つ生物です。そして、人類の内面世界によって拡張された地球世界はこのときから3次元意識の世界となりました。
人間があらわれるまえに、すでに世界は確固として存在していますから、一人ひとりの人間はすでにあるこの世界の創造にわずかながら手を貸しつつ、内面における世界の拡張と共有に意識のエネルギーの大半を傾けることが可能です。
人類の内面世界は相互に共有されることによって価値観や思想、科学、芸術、制度といったさまざまなものを次々に生み出しました。やがてそれは文明と呼ばれる形でより多数の人々に共有されていきます。
内面世界そのものは距離や時間に縛られていませんし、多くの人に共有され続ける限り、物質世界とおなじように存在し続けます。時を超えて読みつがれる文学作品があるのは単に本が物質的に残っているからではなく、その作品の世界が多くの人の内面世界で共有され続けてきたからこそ、物質世界に本として残っているのです。また、遠く離れた恋人に思いが通じたりするのは、内面世界そのものの共有度合いが非常に高まっていることを意味しています。同じ世界に生きているのだから、距離に関係なく気持ちが伝わるということです。
「価値観の違い」「気があう・あわない」「住んでいる世界が違う(まさに)」「なぜかあの人とは話が通じやすい」といった類のことはすべて、個人的な内面世界の波長と共有の問題と考えてみてください。いままでなんとなく考えていたことが、より明確に理解されていくことでしょう。
個人的な内面世界は、共有する・しないをある程度意識的にコントロールすることができます。そして、人間は内面世界の共有を通じて互いに影響しあうことができます。スピリチュアルな文脈で『自分を高めることが世界に貢献する唯一の方法である』というのは、まさにこのことなのですね。自分の意識レベルを高めるということは、より高い意識レベルの世界を創造するということに他なりません。
あなたの意識レベルが高まれば、あなたがなにもしなくても、あなたと内面世界を共有している人々はその恩恵を受けられます。これが一番大切なことです。
逆にいうと、あなたの意識レベルが下がると、近しい人に悪影響を与えてしまうということでもありますから、その自覚も必要になりますけれどね。
今回の記事はこのことを明らかにすることが目的でしたので、この概念(相互入れ子構造による宇宙の多重創造論)の応用的なことは今後の記事で取り扱っていこうと思いますが、最後にもう少しだけ続きます。
4次元の気づき(4次元意識)とは?
真空状態の0次元、鉱物や水だけの状態の惑星意識である1次元、動物たちの個別創造による2次元、そして人類による3次元意識の世界についてお話してきました。このように見ていくと、次の段階すなわち4次元意識の世界とは、どのような世界になるのだろうかという興味が湧いてきます。
もしかしたら、人類が地球外に進出していくことが4次元意識ということかもしれませんし、あるいは人類が地球上で進化して、より高次の意識を獲得して、その意識による新たな世界を創造するのかもしれません。
わたしはおそらく、後者のほうだと考えています。この次元意識という概念はわたしが考えたものですが、スピリチュアルな文脈では「次元密度」という概念が以前から言われています。そして、実はこの次元意識の概念は、次元密度に対応しているのです。次元密度という概念の出自はチャネリング情報にあると思われますが、わたしの理解では次元密度とは、波動(振動数)を段階的に表現したものです。
ですから、意識の次元が上がると波動も上がる(速くなる)というように考えれば、3次元意識をもつ人間の世界を波動という観点でとらえると、第3密度の世界であるということになるかと思われます。つまり、おなじことを異なる観点で説明しています。
そういうことですから、4次元意識を獲得した人類の世界は第4密度の世界であるということになります。第4密度の世界は意識レベルでいうと500から540の「愛」の領域ですから、「愛」という概念が人類の内面世界で完全に共有されることが、4次元意識をひらく鍵になるのではないか、と想像できますね。そして、そのためには数多くの人が意識レベル500以上に成長することが不可欠ですが、そういう人が増えれば増えるほど、あとから続く人も意識レベル500を超えやすくなっていきます。これが先ほど述べた世界に貢献することの真意でもあります。
記事は以上になりますが、実はこの概念については以前の記事でもすこしだけ触れています。当時はまだ今回書いたようなことまでわたし自身が理解できておらず書けなかったため、ほのめかすだけに留めていました。個人の内面世界の仕組みについては、下記のパラレルリアリティについての記事にも詳しく書いてありますから、ぜひあわせてお読みください。それでは長文を読んでいただき、ありがとうございました。
しかしパラレルリアリティでは、人の数だけ現実があり、そして一人ひとりの現実がさらに無数に存在するということになります。ある人の現実に存在する別の人にとっても現実は無数にあるということになりますから、無数に存在する現実のさらに内側に無数の現実が入れ子になっているという複雑な構造になります。