in SPIRE 内なる声をきく

あなたの世界を再構築するための情報です

統合性ってどういうこと?

今回は短めのお話です。

 

この In SPIRE ではデヴィッド・R・ホーキンズ博士が提唱された「意識のスケール」という概念をすべての記事における基本的な知識として活用しています。この概念についてまだご存じない方は下の記事をお読みのうえ、博士の『パワーか、フォースか』をぜひお読みください。今回の記事は、この本をすでにお読みか、もしくは読んではいないが「意識のスケール」について理解はしているという方に向けて書いていますが、ご存じなくても読めるようにはなっていると思います。

 

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「意識のスケール」では、人間の意識のレベルを0~1000までの対数で表しており、意識レベルが1上がると霊的なパワーは10倍になるそうです。霊的なパワーとは、簡単にいえば周囲や世界全体にポジティブな影響を与える力のことと言ってよいでしょう。ところで、ここでいうポジティブという言葉ですが、この「意識のスケール」の概念では意識レベル199以下をネガティブとし、200以上をポジティブと位置づけています。

 

つまり、意識レベル200の人は世界によい影響力を発していますが、199以下の人は世界をより悪くする方向に影響しているということになります。

 

そこで問題になるのは、ポジティブとはどういうことなのか? 世界や周囲に与える「よい影響」とはどういう影響なのか? ということです。つまるところ、意識レベルが高くなるとは、なにが高くなっているのか? どうなっていくと意識レベルが上がったことになるのか? ということなのですが、わたしがみる限り、案外このことが明確には理解できていない人が少なくないようです。

 

そこで今回はこのことについて明らかにしていきたいと思います。

 

まず、意識レベルが低い人を想像してみましょう。大抵の人が思い描くのは「自己中心的な人物」であるはずです。逆に、意識レベルが高い人といえば「利他的で思いやりのある人」ではないでしょうか? まったくそのとおりなのですが、しかしこれは結果的にそうなるということであって、意識レベルの本質ではありません。

 

ポイントは、自己中心的と利他的という性質はどこからきているのか? ということです。自己中心的な人がなぜ自己中心的なのかというと、それは「自分は世界から独立した存在である」という認識からきているのです。この認識を「分離感」といいます。分離感が強いほど、世界は個々バラバラで、自分が生きていくためには他の独立した存在からなにかを奪って得なければならないという考えに囚われています。

 

一方、利他的な人は「世界はひとつ」であるとか「人間はみんなつながっている」というような認識を持っています。それゆえ、自分という存在は世界や周囲との調和の中にあってこそ生きていかれるのだと理解していますから、自分がよければよいというわけにはいかず、他の人も満たされていてはじめて自分も満たされると思っています。

 

この利他的な人が持っている性質を「統合性」と呼んでおきましょう。すなわち、意識レベルとは「意識の統合の度合い」を数値化したものなのです。統合性が高いほど、その人の意識レベルは高く、意識レベルが下がるにつれ統合性は失われ、分離性が高まっていきます。

 

それでは「統合性」とは、どういう意味でしょうか? このことをもう少し掘り下げてみましょう。

 

自動車の運転を思い浮かべてみてください。最近はオートマ車が完全に主流ですが、オートマ車を運転するということは

  • フロントガラス越しに前方に注意を払う
  • 前に進み加速するためにアクセルを踏む
  • 減速し停車するためにブレーキを踏む
  • 方向転換や車線変更をするためにハンドルを切る
  • サイドミラーやバックミラーで周囲に注意を払う
  • 道を曲がるときにはウインカーを点滅させる
  • 必要に応じて窓を開けたり、ラジオやオーディオを操作する

などなどといった多様な動作、操作が求められます。運転免許を取り立てのころはまだ慣れておらず、これらの一々の動作、操作に集中しながら一生懸命行ったと思います。ところが運転経歴が長くなると、こうした動作のひとつひとつは意識しなくてもできるようになります。

 

これは一連の動作、操作を小脳が統合することによって実現されるのですが、このときいくつもの動作、操作の連続作業であったものが、「車を運転する」というたった一つのアクションにまとめられてしまいます。このとき、多数のアクションが一つのアクションに「統合された」ということができます。

 

つまり、統合とは複数の要素、要因をひとつにまとめるということです。

 

意識レベルが低い人にとっては「自分のこと」「あいつのこと」「世の中のこと」であり、それらはすべて別々のことです。だから、「自分のこと」を満たすために「あいつのこと」が損なわれても気にしない、どうでもいいということになります。

 

意識レベルが高い人は「自分のこと」と「あなたのこと」をひとつにまとめて「わたしたちのこと」という風にとらえています。さらに意識レベルが高まっていくと「家族のこと」や「友人・知人を含む人間関係のこと」や「地域のこと」や「国のこと」や「世界全体のこと」というように、より大きなことの中に「自分のこと」をまとめていけるようになります。最終的に「すべてのすべて」「存在するすべて」をまとめてしまうことができたとき統合性は最高になり、そのときその人は悟っているとみなされるでしょう。

 

問題というものもそうです。問題はその問題のレベルでは解決できないと言われますが、それが意味するのは「問題を解決するには、その問題をふくむより大きな(高い)レベルで考えなくてはいけない」ということです。これを言い換えると、問題を解決するにはより統合性の高い観点から考える必要があるということです。

 

「ある問題」はそれ自体独立してあるわけではなく、必ずその背景にある事柄や、周辺にある事柄と絡み合っているはずです。したがって「ある問題」と「ある問題の背後の問題」と「ある問題の周辺の問題」を統合して、「問題の全体像」を把握することによって、はじめて「ある問題」が解決されます。

 

意識の統合性が高い人は、人から聞かされた話でも、それをその件そのままに受け取ることがありません。どんな事象もそれだけで独立して起こることはありませんから、必ずそれは全体性(その人にとっての全体がなにを意味しているかも意識レベル次第ですが)の中で起きていることであると認識されます。そのように認識されると、問題は問題ではなくなります。問題というものは、かならず部分を切り取ったものであるからです。

 

ところで前回の『意識が世界を創造する(相互入れ子構造による宇宙の多重創造論)』という記事において、地球の誕生から人類の登場までに地球上の意識がどのように進化してきたかを説明しました。

 

この記事における地球意識(惑星としての地球と、その表面の生物相すべてを含みます)の進化も、より高次の意識をもった生物によってそれより下の次元の世界が統合されていくという説明が可能です。動物の意識には、人間の内面世界(内的世界)を創造することはできませんが、人間の意識は地球上のすべての生物の意識世界を創造(内包)=統合することができます。そしてもちろん、地球そのものはすべての生物の意識世界を統合していますから、この地球においては地球の意識がもっとも高い意識レベルをもっていると言えます。

 

ところで、最近読んだ 

 という本に面白いことが書いてありました。

 

さきほど自動車の運転に関わる一連の動作を「小脳」が統合すると書きましたが、この本によれば小脳は人間の脳においては決して統合的な部位ではないそうです。順を追って説明しましょう。

 

まず、この本の主題である『統合情報理論』とは、「(脳に)意識が発生するためには、そこで多数の情報が統合されている必要がある」という仮説です。言い換えると「多数の情報が統合されている場所に意識が宿る」という考えになります。

 

著者はこの仮説を検証するために電気的な刺激を脳に与え、その刺激への反応の脳全体への拡がりを脳波で測定する機器を開発します。この機器を用いて実際に被験者の脳を借りて実験を行うのですが、それによって分かったことがなかなか興味深いです。

 

人間の脳全体には約1000億のニューロンが存在しているそうです。そして実は、このうちの8割にあたる800億のニューロンは小脳に存在しています。なんと、大脳(皮質-視床系)には小脳の4分の1となる200億のニューロンしか存在しないのです。ところが、小脳には意識は宿っていないと考えられています。すくなくとも、わたしたちが意識と思っているものは小脳からはあらわれていないことは、この研究以前から明らかとされていることです。

 

そして実験の結果、小脳においては情報は統合されていないことが明らかになりました。一方、大脳では仮説が予想する通り、情報の統合を示唆する反応が確認できたのです。すなわち、意識は大脳に宿っており、大脳に意識が宿っているのは、そこで大量の情報が処理されているだけでなく、情報が脳全体の各機能に統合されているからだということが判明しました。

 

単純に情報を扱える量と速度でいえば、小脳は大脳を圧倒していると言えます。そのおかげで、わたしたちは慣れてしまえば大抵のことを意識せずに行うことができます。もちろん、先の車の運転の説明で触れたように、小脳においても動作の統合は行われていますが、単に肉体を操作するための情報をひとつにまとめただけのものであり、統合の度合いでいえば大脳が行っているそれに比べると、統合とさえ呼べないレベルのことです。

 

このことをもとに、最近よく語られている「AI(人工知能)は意識を獲得するか」という問題について考えるなら、いま用いられているようなコンピュータ用CPUの性能をいくら高めたところでそこに意識は発生することはないと言えそうです。逆に、人間の大脳を模した、情報を統合できるタイプの演算装置とそれに適したソフトウェアが発明されれば、その行く先には超絶な知能をもった人工生命体の誕生もありえるかもしれませんね。

 

人間の肉体に意識が宿るためにも「統合性」が求められるわけですから、意識を獲得した人間がより進化していくための指標もまた「統合性」であるのは当然のことと言えるかもしれません。すなわち、意識とは統合へと向かって進んでいくなにかなのでしょう。