in SPIRE 内なる声をきく

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キリスト意識からの啓示:ジョセフ・ベナーの著作「インパーソナルライフ」「あなたの内なるキリスト意識」の紹介

静まって、わたしこそ神であることを知りなさい

 「訂版 インパーソナル・ライフ あなたは神とひとつである The Impersonal Life Japanese Edition インパーソナル・ライフ・メッセージ」 ジョセフ・ベナー 著、大湾洋乃 訳

 

前回の記事では意識の個別性について解説しましたが、その理由のひとつは一般的に霊的な話題のなかで用いられる「真我」や「わたし(大文字の I )」という言葉がなにを指しているのかについて、探求者の間でのみならず、あろうことか彼らに霊的な智識を教えようとしている人たちの間においてさえ、混乱があると感じていたからです。わたし自身もこの In SPIRE や note の記事においてこれらの言葉について明確な定義を示していなかったので、あらためてその必要を感じたものでした。

 

その前回の記事はこちらです。

merciful.hatenablog.com

 

明確な定義と言っておいてなんですが、真理を言葉で完全に言い表すことは不可能です。言葉それ自体が全体から部分を切り取って(つまり分離させ)それらのものに名前をつけ、その名前のものについて語るものであるという性質上、真理(ひとつであること)について言葉を尽くして詳しく説明しようとすればするほど、皮肉なことにその説明は真理から離れていってしまいます。したがって、わたしにできることは読者のみなさんが自らの内面において真理を見つけるために必要な手がかりを提供することのみです。前回の記事では、文章による説明に加えて視覚的な情報として稚拙ながら図表をいくつか用意してみましたが、これがみなさんの理解に一役買ってくれていたなら幸いに思うところです。

 

さて、前回の記事でもほのめかしていましたが、そのようなものを書いたもう一つの理由がこの記事のタイトルにあるジョセフ・ベナーという人物による著作を取り上げるためでした。内容について紹介するまえに、先に書籍のAmazonリンクを掲載しておきましょう。

 

 

 

ジョセフ・ベナーという人物はおよそ100年前に生きていたアメリカのキリスト教神秘主義者ということですが、これまでわたしはその名前を知りませんでした。日本語で読める彼の本がいままでなかったわけですから、おそらくこの記事をお読みのみなさんもご存知なかったのではないでしょうか。彼についての情報はこれらの書籍の紹介ページに書かれているものしかないのですが、その著作であるこれらの書物の価値からすると、これまで知られていなかったのが不思議なくらいです。しかしながら、これはわたしの個人的な思いですが、だからこそこれらの書籍に書かれている情報がいま日本にもたらされることには大きな意味があるはずです。

 

それでは早速ですが、このジョセフ・ベナーの書籍の内容を一部紹介していきましょう。ちなみに「あなたの内なるキリスト意識」については作者は匿名とされています。当時、なんらかの事情があったのかと思われますが、後にこれがジョセフ・ベナーの作であることが明らかになっているようですので、ここではいずれもジョセフ・ベナーの著作として扱いたいと思います。

 

『改訂版 インパーソナル・ライフ あなたは神とひとつである』

 

いずれの著作も、その内容は神である唯一真実の主観としての「真我(神我)」「わたし」として直接、読者であるあなたに語りかけるものになっています。また、ところどころにおいては「わたし」は自らを「キリスト意識」であるとも語り、そしてその本質は「インパーソナルライフ(意識の境界を超えた存在:非個人的な意識)」であると明かしています。

 

前回の記事は、上に書いた文章の意味を前もって説明しておくためのものであったといってよいでしょう。すでにお読みくださっている方には、この文章についてさらなる説明は不要であるはずですが、ここですこし、おさらいと補足をしておきましょう。

 

Xiaomi Pad 6というタブレットで書いています。本当はiPad Air が欲しかったです。

これは前回の記事で用いた図表にすこし書き加えたものです。ピラミッド型の下2段は物質界に肉体を持って生きている個人的な意識といえる部分で、これをロウアーセルフとします。その上の段はコーザル体における個人的な高次の意識で、ここには各ロウアーセルフ(転生体の意識)のすべての経験の記憶があります。ロウアーセルフに対応して、これを個人的なハイヤーセルフとしています。

 

ピラミッドの頂点をなす最上段を「無限の集合意識」としていますが、前回の記事ではここに含まれるものとして地域や血縁、民族、国家そして種族の集合意識(集合魂)を挙げました。しかしながら、真相においてはこれらは意識の構造のほんの一部でしかないでしょう。思いつく範囲でも、星系(太陽系)、星団(プレアデス星団など)、銀河系、銀河団、超銀河団などがそれぞれ集合的な意識の単位として考えられます。そしてさらには、この宇宙そのものが無数に存在しているマルチバースの一つでしかないかもしれません。

 

こうしてみていくと果てしないですが、ポイントとしては、真相がどのようであれ神とはそのすべてであるということです。ということは、わたしたちがハイヤーセルフだと思っているものは、神とわたしたちを繋いでいる、この果てしのない意識のチャネル(経路)のどこかのことなのです。そして、わたしたちが神とつながっている、神とひとつであるのと同様に、いずれのハイヤーセルフも神とひとつです。ですから、「真我」や「わたし」とは神そのものであると同時に、神に連なるハイヤーセルフのことでもあるのです。いっぽうで、「インパーソナルライフ」というときは非個人性を強調しているので、神のことを指しているといえます。また「キリスト意識」というときは人類を神の意識へと導く高次の意識(ハイヤーセルフ)としての神の子の意識であると受け止めればよいでしょう。このように呼び方によってニュアンスは変わりますが、本質はすべておなじです。

 

繰り返しになりますが「すべてはひとつ」であり、それゆえ「あなたと神はひとつ」です。

 

神へとつながる無限のチャネルはあなたの内にあり、あなたとひとつです。このチャネルこそが「神の王国」へと至る道なのです。この書物において「わたし」は繰り返し丁寧に、すべてを「わたし」に明け渡しなさいとあなたを説得しますが、明け渡しとは、神とひとつであることを自分に赦すことです。別の言い方をするなら、この神へと至るチャネルを最大限に開き、そこから差し込んでくる神の光に自らのすべてを晒すことと言えるでしょう。この光によって幻想の自己である自我(エゴ)は焼き尽くされ、わたしたちは神とひとつであることを思い出すのです。

 

そうです。このインパーソナルライフという書は、神みずからが神の子であるわたしたちに、神とひとつであることを思い出させようとして届けられたメッセージなのです。

 

静まって、わたしこそ神であることを知りなさい。 わたしがあなたの中にいる事を知りなさい。わたしはあなたなのです。わたしがあなたの生命である事を知りなさい。全ての智慧、愛、力はこの生命の中に在る事を知るのです。それは実に今、あなたの存在全体を通し、惜しみなく自由に流れ続けているのです。 わたしこそが、全ての存在の中のその生命、知性、力であるのです ― あなたの細胞のひとつひとつに、それは存在するのです。鉱物の細胞の中に、植物、動物の細胞の中に、それは存在するのです。火の中に、水の中に、空気の中に。太陽の中に、星の中に。わたしはあなたの中に、そして彼らの中に在るもの。彼らの意識はあなたの意識とひとつであり、そして、全てはわたしの意識なのです。彼らの中に在るわたしの意識によって、彼らの持っているもの、彼らであるところのものは、全てあなたのものなのです ― あなたがそれを求めるならば。

(太字はわたしが強調したものです)

 

この一文に、そのメッセージの大要が示されていると思います。全編にわたって素晴らしい内容なのですが、ここではもう一箇所だけ引用しましょう。

 

人であれ、霊的存在であれ、あらゆる教師やガイド、マスターや天使といった存在は、完全性そのものであるわたしの部分的顕れに過ぎないのです。全知全能にして遍在するわたし、全存在の背後に在る霊的イデアそのものであるわたし ― つまりは、あなたの中の神へと、直接向かい合う事ができるというのに、なぜあなたは、そういった部分的存在たちを求めているのでしょうか。

 

すべての源は神であり、すべての現れは神の一部であるということ。先ほど上の方で説明させてもらったのも、この引用文と同じことを言っています。この記事を書いているわたしも、神の言葉がこの肉体精神機構を通して降りてくる神の部分的顕れであるといえますが、実際にはただのおじさんなのです。ただのおじさんに、それが起きているだけなのです😉

 

ところで、このBLOGの正式な名称は「 in SPIRE 内なる声をきく 」というものです。これはBLOGを開設した当初からのものですが、わたしがみなさんにお伝えしたいことの一番の要点はこのこと、つまり、わたしたちは神とひとつであること、わたしたちは内なる神とつながっているということです。このジョセフ・ベナーの著作はまさにその点においても、わたしがここで紹介しなくてはならないものでした。

 

 

『あなたの内なるキリスト意識 ―キリスト意識の覚醒による神との境界の消滅について―』

 

さて、続いてもう一冊の著作について紹介しましょう。

 

あなたの覚醒は神によって定められたものであり、神聖なシナリオに記されたものであるという事、これを真に知ってほしいのです。そうです、しっかりと覚えていてください。あなたは神のシナリオの中の存在であり、実に、何も心配すべきことはないのです。心配事、恐怖感、罪悪感、劣等感、こういったものの全ては、神に属するものではありません。これらの全てが「偽我」という、偽りのエネルギーに由来するものであり、即ち、元来存在しないものなのです。

 

「あなたの内なるキリスト意識 ―キリスト意識の覚醒による神との境界の消滅について―」
 ジョセフ・ベナー 著、大湾洋乃 訳

 

こちらの「あなたの内なるキリスト意識」でも「インパーソナルライフ」と同じく、神であり真我でありインパーソナルな意識である「わたし」が様々に語りかけてくれます。基本的に語り口も「インパーソナルライフ」と同様ですので、実質的に続編というか、そのまま続きであると思っていただいてよいでしょう。

 

内容としては、「インパーソナルライフ」ではわたしたちが神とひとつであることを示すものであり、「あなたの内なるキリスト意識」では、なぜそのことをわたしたちは忘れてしまっているのか? ということについて語られています。この「あなたの内なるキリスト意識」に書かれている「偽我」についての情報は非常に重要で、なおかつあまり知られていないものです。

 

非二元(ノンデュアリティ)の文脈において、悟りを妨げているものはエゴ(偽りの行為主体である幻想の自己)であるとされています。このエゴは肉体精神機構(肉体と精神の総体)とイコールにみることもできますし、エゴ=肉体精神機構=カルマという等式を示すことも可能です。いずれにしても、幻想にすぎないエゴを実存であると錯覚してしまうがゆえに人は二元性にとらわれて真理から遠ざかっているというのが非二元の界隈で語られていることですが、幻想であるというまさにその理由によって、エゴについて深く追求することはほとんどありません。ですので、ほとんどの人はその由来と正体について知らないし、気づいてもいないことでしょう。

 

上の引用文において触れられている「偽我」の説明は、この非二元文脈におけるエゴのことと言って差し支えありませんが、本書で語られている「偽我」の素性はそれだけにとどまりません。

 

そして、この事を覚えていてください。偽我という存在は、実は、ひとつしか存在していません。あなたの意識に巣食ってきた偽我のエネルギーは、他の存在達に巣食ってきた偽我のエネルギーと全く同じものであり、ここにも、実は分離というものはありません。

 

ここで、偽我が個人的なエゴという概念ではなく、集合的な意識エネルギーであることが示唆されていますね。まったくの話、そもそもすべてはひとつなのですから、幻想の主体であれなんであれ、それも全体とひとつなのです。したがってエゴもまた、それは個人的な幻想ではなく、非個人的で集合的な幻想であると理解されなくてはいけないのです。しかしながら、偽我の正体はそれだけではありません。

 

あなたのこれまでの思考形態の殆どの部分が、偽我が集合して構成した意識、つまり偽我の集合意識体によってできた思考母体を基にしたものであったのです。そして、この思考母体・マトリクスは、非常に強固な意図を持っているのです ― 神を否定し、そして神なるものを模倣し、偽の神を作り上げ、それに人類の意識を集中させることにより、真の神を人類の意識から排除しようとする意図 ― 偽我は、その非常に強固なエネルギーによって、時間というものが始まったその瞬間から、この意図をずっと固持してきたのです。

 

 

改めて伝えます、外側の世界を支配しようとしてきた存在、それは集合的偽我のエネルギーであり、それらは霊的次元からはたらきかけ、人類から神を、内なる「わたし」を隠そうとしてきたのです。集合的偽我は霊的次元の存在ですが、それが影響を及ぼせる次元は、主に物質次元です。つまり集合的偽我、そしてあなたの中に巣食ってきたあなたの偽我、この両方が、物質的次元に起こるあらゆる現象を操る事によって、内なる神の声をかき消し、偽りの時間を引き伸ばしてきたという事なのです。

 

ホーキンズ博士の「 I <わたし> 真実と主観性」では、アストラル領域に存在するエンティティ(霊)について言及されています。アストラル界の意識レベルの上限は500とされているのですが、ここで注意喚起されているのはより下方のレベル、すなわち地獄と呼ばれるような領域にいるエンティティ(意識体)の危険性です。そのようなエンティティの中には非常に強力な存在もいるようで、そのような存在の誘惑や脅しによって、一般的には意識レベルが転落しないとされている540以上の人物が200前後にまで堕とされてしまうこともあるようです。

 

本書で明かされている「偽我」の正体とは、つまりこのアストラル界にいる低い意識(アトラクター)のことであると考えてよいでしょう。ホーキンズ博士はアストラルについては詳細は語らず、とにかく関わるなと述べていました。アストラル界については、そのはじまりも含めてわたしもほとんど無知ですが、関わるべきでないものについては知らないほうがよさそうです。ちなみにですが、その意味では意識レベルが十分に高い(500以上)人を除くと、サイケデリクスを使用することには常に危険がつきまとう可能性が高いです。

 

これからこの本を手にしてみようという方は、この偽我について、非二元でいわれるエゴと比較しながら読んでみるように、おすすめします。それはとても有益な経験となることでしょう。また、こちらの本は章の終わりごとに聖句とともにそれを熟考するための瞑想が設定されています。あわてて先を急がず、章ごとの内容をこの瞑想によって腑に落としながら、ゆっくり読み進められるのがよいでしょう。

 

ジュニャーナとバクティについて

 

ラメッシ・バルセカールは「ジュニャーナ(智慧の道)はいずれ極まるとバクティ(帰依・明け渡しの道)と同じになります」と言っていました。わたしはジュニャーニ(智慧の道を行く人)でしたし、いまこうしてわたしが書いているものも基本的にジュニャーニの人に向けたものです。しかしながら、このところのわたしは以前よりは敬虔な人間に変わってきたと感じています。敬虔といっても、具体的な名前のある神や特定の宗教を信仰しているわけではもちろんありません。ただ、自らの内に神を感じ、外側の世界にも神の意志が顕現していることを知覚できるようになるにつれて、自らよりも高いもの、大きいものに対して自然と頭が下がるようになり、また、その高いもの大きいものと自分がひとつであることに喜びを感じられるようになってきたのです。

 

わたしの意識が目覚めはじめたのは人生のどん底にあって、エゴである自分の愚かさ、未熟さ、無能さを思い知ることになった時からですが、それでも当時はまだ簡単に明け渡すものかという抵抗心があったと記憶しています。それから14年ほど経ったいま、気がついてみれば神のために神の言葉を受け取ってそれをこうしてお伝えすること以外にはほとんどなにもしない人生を送るようになっていました。

 

わたしが思うに、エゴ(偽我も)は敵ではありません。エゴにはエゴなりの動機と目的があるのですから、感情を押し殺したり、欲望を無視したりしていては却って意識レベルの上昇を妨げます。カルマはそれが燃え尽きるまではずっとその人を苦しめるので、いっそのこと最大火力で焼いてしまうのが一番早いのです。しかし、かといって探求の途にある人がそのような生き方をすることには罪悪感があることでしょう。思いのままに生きても罪を感じ、思いを抑え込んで生きても鬱屈して歪むとなれば、いったいどうすればよいのでしょうか? 智慧の道の、とくにその道の半ばまではこのジレンマに苛まれ、なかなか思うようには進めないと思います。

 

誰であれ、その人に覚醒なり悟りなりが起こるとき、例外なくそれは神の恩寵によるものです。なぜならすべての肉体精神機構はただ神だけがそれを生かし、思考させ、行為させているのですから。であるなら、智慧の道を行く人がこのジレンマに打ち勝てたとすれば、それはその人が成し得たのではなく、神がそのようにしたのだということです。これが神の恩寵です。

 

ジョセフ・ベナーによるこの二冊「インパーソナルライフ」と「あなたの内なるキリスト意識」は、神自らが教えるバクティ(明け渡し)の教科書といってよいでしょう。これらの書がいまこのようにしてわたしたちの手が届くところにもたらされた意味は、この日本で探求を続けている人たち(そのほとんどがジュニャーナでしょう)の多くにとって、明け渡しを学ぶことが必要であるということでしょう。

 

もっとも、同じように明け渡しの重要性を伝える霊的な情報としては奇跡講座バガヴァッド・ギータもすでによく知られています。これらの書ももちろん非常に優れていますが、ジョセフ・ベナーの著作が素晴らしいのは誰でも読めるくらい平易な表現でありながら、とても説得力のある文章で語られているところと、ボリュームがコンパクトであるところです。それゆえ、奇跡講座やバガヴァッド・ギータに比べるとおすすめしやすいですし、読まれる方にとっても内容を理解吸収しやすいはずです。ですから、ぜひ読んでみてください。

 

さて、他にもまだまだ引用したくなるような文章がたくさんあるのですが、それはみなさんが本書から直接読んでいただくこととして、わたしからの紹介はこれで終わりたいと思います。ひとりでも多くの方がこの二冊の本を読んでくださることを願います。

 

静まって、わたしこそ神であることを知りなさい――

 

最後になりましたが、これら素晴らしい霊的な情報を発掘され、見事な翻訳によって世に出された大湾洋乃さんに感謝いたします。今後出される予定の本も楽しみにしております🙂

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。