in SPIRE 内なる声をきく

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意識レベルを高める話法、語法

その人から出てくる言葉は、あたりまえですがその人の意識レベルを反映しています。

 

意識レベルが低いということは自己中心的で、自己と他者、自己と世界の間の分離分断の度合いが大きいということです。意識レベルが高いということはより統合的、調和的で、自分と他の人をおなじ一つのものであると感じているということです。

 

心と体は表裏一体であるとはよく言われることです。とても嬉しいことが起こると思わずガッツポーズすることがありますね。ひどく困った状況に落ち込んだら、つい頭を抱え込みたくもなります。

 

これを反対にしてみるとよく分かるのですが、ガッツポーズをしながら窮地に追い込まれているところを想像してその気になってみようとしても、なかなか上手くいきません。背中を丸めて頭を抱え込んで、めちゃくちゃラッキーなことが起きて喜んでいるつもりになることも難しいでしょう。

 

たしかNLP(神経言語プログラミング)だったと思いますが、このことを応用して、自分の持っていきたい気分や心持ちを表現するようなポーズを体で表現することで、心の方を変えてしまうというテクニックがあります。わたし自身もビジネスマン時代にはこの技法をプレゼンテーションの前や最中によく使いましたし、新入社員の教育を任されていたときにはこのテクニックを実習に採り入れていましたが、大きな効果がありました。

 

さて、冒頭に書きましたが、心と体が表裏一体であるように、心と言葉も表裏一体といえます。そうわたしが言うと、なるほどそりゃそうだと思われるかもしれません。しかし、体の動きは無意識的に起こるのに対して、言葉というものはいくぶん意識的に発するものですから、実はこれは、そんなに分かりやすいことでもないのです。

 

わたしはTwitterを10年以上使っていますが、どんな人のツイートであれ、それ一つを読んだだけではその人の意識レベルがどれくらいかなんて、ほとんど分かりません。ある程度の期間、それなりの頻度でつぶやかれた言葉を総合すればある程度のことはもちろん推し量れます。でも、先ほど書いたように、言葉は意識的に発するものです。まして口から発せられる言葉よりもSNSに投稿される言葉はより慎重に選ばれている(そうでないことも多々ありますが)ものです。

 

ですから、他の人の言葉をとりあげて、心と言葉が表裏一体であるという観点からなんらかの判断をすること(つまり、その人の意識レベルが高いか低いかなど)は、わたしはおすすめしません。ですが、こと自分の発した言葉に関していうなら、それが意識的に発せられたものであれ、思わず口から出たものであれ、自分の心の中のものが反映されていると考えることは正しいと言えますし、そのつもりで観察してみれば、得られるものは多いでしょう。

 

そして、そうであるならば心と体のケースと同じように、言葉の方を意識的に変えてあげることで、心のあり方に影響を与えることもできると考えることができます。この考え方をうまく用いることで、意識レベルを効果的に高めることが可能になります。

 

これから紹介するテクニックは、以前わたし自身が実際に数年間、意識的に取り組んだものです。なぜそれを思いついたかというと、要するに、当時の自分が用いている言葉(主にTwitterに書いている文章です)がとてもエゴイスティックであることに「ふと」気づいたからです。正確な時期がちょっと思い出せないのですが、父親が死んで以降、さまざまな気づきが次々に起こるようになったので、その頃のことだと思います。

 

エゴイスティックな文章、あるいは自己中心的な話し方、というと具体的にはどういうものだと思いますか? 当然、その内容が自分中心であったり、上から目線な物言いだったり、あるいはやたらと攻撃的だったり批判的だったりということが想像されると思います。もちろん、それで正解なのですが、そういうものはそれこそその人の内面、つまり考え方や感じ方がそのまま出ているわけですから、これを意識的に変えるというのはなかなか難しいでしょう。思ってもないことを書けと言っているようなものですから、これは無理です。

 

しかしながら、こういった自己中心的な話し方、書き言葉には、その内容よりももっと分かりやすい、ある特徴があるのです。

 

それは一人称がやたら多いということです。単に多いだけでなく、用いなくても意味の通る言葉にまで一人称が挿入されているというところです。一人称というのはお分かりと思いますが「わたし」とか「俺」という言葉ですね。意識レベルが低い人ほど自分という概念、すなわちエゴが強大なわけですが、この「わたし」や「俺」という一人称はまさにこのエゴそのものなのです。ちょっと、例をあげてみましょう。

 

 

『アベノマスクは配布されるのも遅いし、寸法も妙に小さいし、なんだかあまりよいとは俺には思えない』

 

これはわたし自身が思っていることですが、例えばTwitterではこのように書かなくても

 

『アベノマスクは配布されるのも遅いし、寸法も妙に小さいし、なんだかあまりよいとは思えない』

 

と書けば、わたしがそう言っていることは誰からも明白ですから、「俺には」とあえて言う必要はどこにもないわけです。

 

では、こちらはどうでしょう。

 

『道を歩いていたら、前から歩いてきたおばさんにぶつかられて危うく怪我をするところだった』

 

この文章にはとくに不足はありませんね。ところが

 

『道を歩いていたら、前から歩いてきたおばさんがわたしにぶつかってきて、危うく怪我をさせられるところだった』

 

このように書く人が多いのです。ポイントは、「わたしに」という一人称の目的語が挿入されると、怪我はするものではなく、させられるものに変化することです。微妙な違いですが、どちらが自己中心的かと考えてみると結構な違いがあると思いませんか?

 

これでもうお分かりかと思いますが、意識レベルを高める話法、語法とは「一人称を極力用いないで話す(書く)」ということです。はじめのうちは、話し言葉よりも書き言葉から試してみるとよいでしょう。いざ一人称(とくに主語)を使わないと決めてみると、思ったことがなかなか言えないと感じることがあると思います。たいていの場合、そういうときはエゴがなにかを主張したがっています。このときに、どのように言い換えればよいかと考えるわけですが、結果として選ばれる言葉は一人称を用いたものよりも、必ず調和的、統合的なものになります

 

もちろん、どうしても一人称を用いる必要がある場合もあります。その場合は普段自分が話し言葉で用いている言葉(たとえば「俺」)ではなく、「自分」という言葉を使うことをおすすめします。こうすることで、エゴの投影である「俺」ではなく、単に他の人ではなくこの言葉を発している人であるところの「自分」というニュアンスに変わります。この微妙な違いが大切なところです。よく分からないという方は、とりあえずそうしてみてください。使っているうちに、だんだん分かってくると思います。

 

慣れてくると、いつの間にか自分の思考の仕方が変化していることに気づかれると思います。思考の仕方がより統合的、調和的に変わるということは、それだけ意識レベルが高まったということです。目安としては最低1年くらいは続けてみてください。やっているうちに話し言葉も自然と変わっていくでしょう。

 

これは非常に強力なテクニックです。しかもやることはシンプルなので、やり方に迷うこともありません。瞑想やほかの行をどれだけ試してもいっこうに目覚めた感じがしないという人も、これをやれば確実に変化を感じられると思います。ぜひ実践してみてください。

 

ちなみに、わたしは現在はこのテクニックはあえて使っていません。ですが、これを数年行ったことで、一人称を自覚的に用いることができるようになりました。この訓練と、下記の過去記事で紹介したトレーニングは二元性を超越するために確実に効果がありますので、両方とも試してみられることをおすすめしておきます。

 

 

 理論編と実践編があります。

 

さらに応用編です。

 

merciful.hatenablog.com