in SPIRE 内なる声をきく

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プロローグ2 2009

プロローグ1からの続きです。前回の記述に、西暦とその時の自分の年齢に誤りがあることに気づいたので訂正しています。内容には関係がないので改めて読んでいただく必要はありません。

 

さて、約10年前の私は薬物とギャンブルへの深刻な依存症によって人生が八方塞がりになり、いよいよこれはもうどうしようもないなと頭を抱えながら生きていた(当時からTwitterはやっていましたが、そのような状況をひた隠しにして、むしろ思うがままに生きているかのようなツイートをしていました)のですが、2009年の暮れに思わぬ出来事に見舞われました。

 

突然体調不良を訴えた父(同居していました)が入院することになり、その3週間後に亡くなったのです。死因は肝がんでした。突然の体調不良とは書きましたが、父はその3年ほど前に前立腺がんで手術をしていました。前立腺がんは予後がよいとされ、手術がうまくいけば転移するケースは少ないと聞かされていましたから、本人を含め家族の誰も、彼が新たなガンに侵されているとは想像もしていませんでした。

 

もっとも、その頃の彼は、かなりのアルコール依存症であっただけでなく、統合失調症も患っていたのではないかといまは思っています。そういう節もあったので、体調そのものが思わしくないことは私も母親も認識していましたが、まさかガンであるとは考えていなかったということになります。

 

こういう風に書いていくと、泣きっ面に蜂というか、大変な状況に追い打ちをかけるような不幸に見舞われたというような話と思われるでしょう。しかし事実はというと、その時私はホッとしたんですね。肉親が死んでホッとするなんて、不謹慎だしひどいじゃないかと自分でも思いますが、それが事実です。

 

子供の頃は父親と仲がよかったのですが、私が30歳を過ぎた頃から、彼の人格におかしなところが現れはじめました。日頃からむやみに攻撃的ですぐにキレるようになり、酒を飲むとさらに暴力的になって、よく私と衝突しました。時には実際に殴り合いになったこともあります。私は私でこれまで書いてきたような状況でしたので、恥ずかしながら実家から離れて自立することもできず、必然的に毎日顔を合わせることになるので、私は基本的に自室に閉じこもっていることが多くなっていました。

 

私が薬物やギャンブルに逃避していたのも、一つにはこの、父親との葛藤を克服しきれなかったことが要因としてあったと思います。もちろん自分の人生が荒れ果てていたことを父親のせいにするつもりは微塵もありませんし、根本的な原因は私自身の未熟さにあります。しかしいずれにしても、そうしたわけがあって父親が亡くなったときに、私の抱えていたストレスがかなり解消されてしまったのでした。と同時に、もしかしたら父親は私の真実に気づいていて、そのせいで彼を苦しめ、弱らせて死に追いやってしまったのではなかっただろうか? という疑念が私の中に生まれました。生前においてはそんなことに思いを至らせたことは一度もありませんでした。

 

言い方は悪いですが、目の上のたんこぶが消えて安堵したせいですこし冷静になったのだと思います。開放感と罪悪感が同時にやってきて、いままでの人生で一度も味わったことのない意識の状態を体験しました。うまく説明できませんが、これまで自分の心だと思っていたものの外側に、より大きな心があることに気づいたような感じでしょうか。

 

聖書に「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」というイエスの言葉がありますが、その時に私は初めてほんとうの意味で、自分が何をしているのかわかったのでした。その感覚は今も続いています。

 

これが、私の意識が目を覚ました最初の瞬間だったと思います。そしてこの目覚めが、深刻であった私の依存症を癒していったのです。それ以降、違法な薬物に手を出すことはなくなりました。強烈だった覚せい剤への渇望がどこかへ消えてしまったのです。ギャンブルに至っては、なぜそんな無益なことに中毒していたのか自分でもさっぱり分からなくなってしまうという、不思議ともいえる心境の変化を経験しました。もっとも、法に触れない類の薬物への依存はその後まだ数年続きます。とはいえ、この出来事は私の人生を大きく変えるターニングポイントとなったことは間違いありません。続きます。