in SPIRE 内なる声をきく

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このブログについての予備知識となる10冊 #1~#3 『パワーか、フォースか』『投影された宇宙』『ベルゼバブが孫に語った物語』

このブログで書いている記事には、あまり一般的ではない用語や概念もたびたび登場します。私のこのブログをお読みくださる方にとっては既知のものも少なくないかもしれませんが、その前提で私も書いていますので、どうしても必要でない限り、ひとつひとつについて立ち止まって詳しい説明や紹介をすることはないかもしれません。

 

そこで、このブログを書くにあたって私がお伝えしていこうと思っている話が元はというとどこから来たものなのか? について、自分なりに考えてみました。どこからといっても、私の場合は特定の師のような存在はいませんし、どこかで特別な修行をしたわけでもありません。基本的に私が話すことはすべて、いずれかの書籍から得た知識や知見が下敷きとしてあります。そうした知識と知見をすべて紹介するのがこのブログの趣旨ではありませんし、そもそもそれは無理なことです。そこで、このブログのテーマと内容に強く関連すると思われることや、現在の私が強い関心を持っていることに的を絞って、ふさわしい本を10冊ほど選んでみました。

 

必ずしもこの10冊でなければならないわけではないのですが、単純に私が人にお勧めしたいと思えるものであることを条件にしたら、こうなったというものです。また、これら以外の本についても、そのときどきに書評という形で紹介していくつもりです。ちなみにAmazonアフィリエイトはいたしておりません。

 

 

『パワーか、フォースか』
デヴィッド・R・ホーキンズ(改訂版が出ましたので、リンクを差し替えました)
パワーか、フォースか 改訂版 ― 人間の行動様式の隠された決定要因 (覚醒ブックス)

パワーか、フォースか 改訂版 ― 人間の行動様式の隠された決定要因 (覚醒ブックス)

 

私がよく用いている「意識レベル」という概念はいわゆる医学用語の意識レベルのことではありません。また俗にいうところの「意識が高い」という表現とも、おそらく関係がありません。デヴィッド・R・ホーキンズ博士は筋肉反射テストキネシオロジーテスト)が被験者に属したことかどうかに関係なく「ある事柄が真理を反映しているか否か」 を明らかにすることを発見しました。

 

この発見は実は人類史最大の発見と呼べるものです。なぜなら、人物の発言、企業の製品、政党政府の政策、事件の真相などなど、どんなことでも客観的に真偽が判定できてしまうということですから、もはや人類には嘘をつくことができなくなったのです。残念ながらさまざまな理由(ざっくり言うと人類全体の意識レベルがこの発見を受け容れる段階に達していないからです)により、いまのところ、そのような扱いを受けてはいません。

 

このキネシオロジーテストを応用することで、人間の意識のレベル(分離・分裂的傾向を意識レベルが低いとみなし、統合的傾向を意識レベルが高いとみなします)を測定することも可能になります。ホーキンズ博士はこれについて0~1000までの対数のスケールを用意し、意識レベルのさまざまな段階について、その特徴を明らかにしました。

 

詳しくは本書をお読みいただきたいのですが、このブログでは博士の意識のスケール上の数値を頻繁に用いますので、ここに簡単な概要を示しておきます(※印は私の推測です)

 

意識のレベル(概略) 『パワーか、フォースか』p.109参考

 20 恥
 30 罪悪感
 50 無感動
 75 深い悲しみ
100 恐怖 ※この辺りまでがルートチャクラ(赤オーラ)に対応
125 欲望
150 怒り
175 プライド(ここまではネガティブ)※この辺りまでが第二チャクラ(橙)
200 勇気(ここからポジティブとなる)
250 中立
310 意欲
350 受容
400 理性 ※この辺りまでが第三チャクラ(黄)
500 愛(霊性の目覚め)※ハートチャクラ(緑)
540 喜び(無条件の愛、深刻な依存症の克服)※スロートチャクラ(水色)
600 平和(覚醒、二元性の超越)※アジナチャクラ?(藍)
700 悟り ※クラウンチャクラ(紫)

 

 この本は他の9冊と比べてもはるかに重要だと私は思っています。残念ながらすでに絶版となっており、中古本としてしか入手できないようですが、手に入るうちに読まれることをお勧めします。意識のスケールを理解すること自体が、意識レベルを高める触媒となるでしょう。また、この概念を用いることで、現在の自分自身がどの段階にあるかを知ることもできますし、さまざまな思考・思想やアイディアがどの意識レベルからきたものかを判定することもできます。師となる存在をみつけるうえでも、悟りを開いたと自称する人物の語る言葉が本当に意識レベル700に達しているか、このスケールに照らしあわせることで吟味できるでしょう。

 

なお、デヴィッド・R・ホーキンズ博士の邦訳されているもう一冊の著作『 I <わたし> 真実と主観性』は人間によって記されたものとしては最高の意識レベルが表現されています。こちらも重要な本と言えますが、この本を読むには『パワーか、フォースか』の内容が理解されていることが前提となります。

 

 『投影された宇宙―ホログラフィック・ユニヴァースへの招待』
マイケル・タルボット
投影された宇宙―ホログラフィック・ユニヴァースへの招待

投影された宇宙―ホログラフィック・ユニヴァースへの招待

 

Amazonの本の紹介にはこうあります 

アインシュタインの弟子、デイヴィッド・ボームと、神経心理学の名著『脳の言語』著者、カール・プリブラムは言う、「私たちの世界はすべて、時空を超越したレベルからの投影である」―。ホログラムとしての脳、魂の影、覚醒夢と並行宇宙、臨死領域、ドリームタイム、そして「全観的」宇宙…。奇妙ではあるが、科学的に確かな数多くの事例を根拠として構想された、ダイナミックな宇宙観への招待。

 

内容については上記のとおりです。この本については「とにかく面白い」ので、多少難解な概念も登場しますが、楽しんで読める一冊だと思います。この本を採りあげたのは、もちろんその内容に関連したことを私がこのブログで書いていく予定であるからなのですが、それ以上に重要なのはこの本を読むことによって、この世界についてのあなたの固定された認識がかなりの程度で破壊されることが予想されるからです。

 

なかには「ホンマかいな??」と思わず口に出してしまいそうな話も登場しますが、この本は基本的に科学的な思考と可能な限りのエビデンスを駆使して書かれています。それぞれの内容についてそれをどう判断するかはあなた次第ですが、こうした情報をいったん受け容れてみることはとてもよいことです。

 

なぜなら、以前の記事にも書きましたが、多くの人が意識レベル(さっそく登場しました)500を突破できないのは、その下に位置する400台の知性の領域に囚われてしまうからです。知性には目に見えないものや論理的な検証の不可能なものを受け容れることができません。知性が高まれば高まるほど、その上の霊性へと飛躍することは逆に難しくなるのです。それゆえ、このギャップを超えるためには、それ相応のショックが必要になります。人によっては、この本がそのショックの一端を担う可能性があると私は考えます。

 

ちなみに、なぜ意識レベル500を突破することに意味があるのかについて私の考えを述べますと、それは「意識レベル500以上になるとそれほど苦しむことなく生きていかれる」からです。本当は意識レベル540以上を目指すべきなのですが、500を超えることができれば540に到達することはさほど困難ではありません。意識レベルが低いということをよいとか悪いとか言うことはできませんが、意識レベルが低い状態では様々な苦痛があるということは事実です。このブログは悟る(意識レベル700)ことを目標としなくても人は幸せに生きられるということを大きなテーマとしていますが、それは別の言い方をするなら、意識レベル540を目指そうということにもなります。

 

ベルゼバブが孫に語った物語: 人間の生に対する客観的で公正な批判 全体とすべて
G.I.グルジエフ(別の訳者による紙の本もありますが、こちらのKindle版を推奨します)

 謎の多い神秘家 ゲオルギー・イヴァノヴィッチ・グルジエフの思想というと、グルジエフの弟子でもあったウスペンスキーの『奇蹟を求めて』という本がよく知られています。この本はウスペンスキーがグルジエフから教わったことを彼なりの分析をまじえて整理して編集されたもので、膨大多岐にわたるグルジエフの教えをある程度コンパクトかつ体系的にまとめることに成功していると思います。

 

しかしながら、グルジエフ自身には『全体とすべて』と題された三部作の著作があります。その一作目となるのがこの「ベルゼバブ」で、これは小説の体裁がとられています。Amazonの本の紹介の一部を引用します。

 

若き日の反逆の罪ゆえに宇宙の中央を追放され、われわれの太陽系へとやってきたベルゼバブの視点から、生命の創造以来の惑星地球の歴史を振り返り、戦争をはじめとする人類特有の異常性の起源となった人類の生物学的条件付けとその背景、そしてそれが人類の集団的な営みのなかで固定化するに至った経緯を探るとともに、現代文明の諸相を描き、不合理な現実と日常生活に定着した異常な条件の彼方にある可能性を探る。

 

 グルジエフは本書の冒頭において、自分の三部作の読み方として、必ず一作目のベルゼバブ、次に二作目の「注目すべき人々との出会い」、最後に「生は<私が在る>ときにのみリアルである」の順番で読み、全体を通して3回は読みなさいと書いています。したがって、本来であれば三部作すべてをここに紹介すべきなのですが、個人的にはこのベルゼバブこそがグルジエフの集大成であり、ここに書かれていることが彼のすべてと考えてよいと思っています。たとえばウスペンスキーの「奇蹟を求めて」で紹介されている『水素論』という概念はベルゼバブには登場しません。これはグルジエフにとって水素論はその思想の枝葉末節であり、不要と判断したのだと私は思います。

 

また、三部作の最終作である「生は<私が在る>ときにのみリアルである」はグルジエフの死によって未完となっています。これがもし完成していたなら、そこではベルゼバブにおいて登場した様々な法則や理論についての合理的な解説が述べられていたのではないかと感じる一方で、もしかしたらグルジエフはもとよりこの本を未完のままにするつもりであったのではないかという想像もしています。そう思う理由はここでは述べませんが、いずれにしてもそうなるとグルジエフの教えが凝縮しているのはベルゼバブしかないということになります(「注目すべき人々との出会い」はグルジエフの自伝的な内容です)から、ベルゼバブを読みこむこと以上にグルジエフについて深く知る方法はないとも言えます。

 

ベルゼバブから読み取れるグルジエフの思想について、ここでその一部であってさえも簡潔に述べるのは難しいですが、彼の著作を読めば、グルジエフという人物がほんとうに並々ならぬ資質と尋常ならざる経験と卓越した叡智を持ちあわせた人であることは誰の目にも明らかです。単純にいって、これだけの内容の物語を書きあげられる人は、職業作家にあってもそう滅多にはいないでしょう。

 

このブログでは、主にグルジエフのオクターブ理論をよく持ち出すことになりますが、ベルゼバブという存在とその出自、地球に来た目的などを俯瞰すると『この地球はどうやら、太古より地球外生命体の訪問を幾度となく受けており、その都度なんらかの影響が地球と人類に与えられてきているようである』という私の関心ごとについても多くのヒントが散りばめられています。そちらの話題については別の本を紹介する形でまた書きたいと思います。

 

4冊目以降は記事を分けることにします。