in SPIRE 内なる声をきく

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プロローグ3 2010-2012

自分の過去について、こんなに詳しく書くつもりは最初はなかったのですが、書きはじめると思い出されることも多々あり、自分の記憶の整理という意味も込めて、このまま続けていこうと思います。それに伴って、記事のタイトルを変えました。このブログの本来の趣旨に進む前の段階として、プロローグという形で続けていきます。

 

父が死んだ翌年の2010年から2011年の秋までの1年半ほどの期間は、先に書いた目覚めの体験からはじまって今もなお続いている、私の意識の変容の最初の時期にあたります。父の死後、そのまま勤めていた会社を不義理な形で辞めてしまった私はこの期間、ほとんど自宅に引きこもりながらネットショップで脱法ハーブ(いまは危険ハーブと呼ばれていますが当時は法規制の対象外のものをそのように呼んでいました)を細々と売りながら、自分もそのハーブを寝る時以外はずっと吸い続けていました。

 

脱法ハーブとは、大麻の主成分であるTHCによく似た化学式をもつ人工カンナビノイドをその辺に生えているような雑草を乾燥させたものにまぶした代物です。初めに世に出たのはスパイスゴールドという商品ですが、当初は大麻が規制されている国に住む大麻愛する人たちが合法的に楽しめる代替大麻という触れ込みで急速に広まっていきました。そのあたりの詳細はここでは書きませんが、つまるところ、違法薬物とギャンブルからは足を洗えたものの、生活を立て直す気力を取りもどすところまでは浮上できてはいなかったのです。

 

脱法ハーブを売る商売の方もあまりうまくはいきませんでした。それに、そうでなくても、さほど遠くないうちに完全な規制が入ってそれでおしまいになるビジネスであることも分かっていました。人生最悪の時期は過ぎたという実感はありましたが、依然として先になにがあるのかはまったく見えず、焦りを感じていました。それでも目覚めがもたらした変化は少しずつよい方向に私の心を導いていました。といっても、ベランダで植物を育てはじめて毎日せっせと水やりをするようになったり、早朝に散歩に出かける習慣ができたり、という他愛のないことばかりなのですけどね。

 

2011年の東日本大震災のときも、自宅でハーブを吸いながらパソコンでYouTubeを観ていました。その時の衝撃は私だけが体験したことではありませんが、世の中になんの貢献もできていないばかりか、自分の面倒さえままなっていない現状を恥ずかしく感じたことを今でも強く覚えています。それがきっかけになったとはっきりとは言えませんが、その年の秋に、いまも続けているマッサージの仕事に就こうと思い立って、未経験者でも一から教えてくれる店をみつけて応募しました。色々なことを経て、自分には会社勤めは向いていないと諦めていましたし、なにかもっとこう、直接的に人の役に立てるような仕事をしたいと考えていたときに、もともと自分がひどい肩こりでマッサージ屋に通い続けていたことを思い出し、もしかしたら自分にも出来るかもしれないと思ったのでした。

 

約一か月の研修を終えて無事にスタッフとして採用されたのがその年の11月でした。なんとか一人前のセラピストとしてやっていけそうな感触をつかんだのは翌年の2012年で、その年に私は41歳になるのですが、41歳という数字を意識したときに、ある記憶がよみがえってきました。それは31歳の時、東京で会ったナレンドラというインド人の霊能力者から聞かされた私の未来のリーディングの内容でした。続きます。

 

余談ですが、マッサージの仕事をはじめたのは脱法ハーブの商売がうまくいかなかったからでもあるのですが、そこで見切りをつけて辞めたのはラッキーでした。同業者の多くがその後、逮捕されたり廃業に追い込まれたりしていましたから...