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マッサージセラピストという仕事

わたしはマッサージセラピストをしています。この仕事をして、もう7年半が過ぎました。これまでの記事で、この仕事をはじめるにいたった経緯については触れましたが、今回はこの仕事がどういうものかについて、わたしが考えていることを書いてみたいと思います。あくまでこのBlogのテーマに沿った話ですので、具体的なマッサージの技術や店舗勤務の実情といったような内容ではありません。社会の中で働きながら、意識レベルを高めて自己を開放し他者を癒やしていきたい、と考える人にとって、一つの選択肢として、こういう仕事もあるよということを伝えたいと思います。

 

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人の体をさわる仕事=癒やしのしごと

言うまでもありませんが、マッサージは人の体をさわる仕事です。マッサージといっても色々な種類があります。わたしが行っているのは主に指圧や筋膜リリース、それからリフレクソロジー(足つぼマッサージ)ですが、他にもタイ古式マッサージやオイルマッサージなどがあります。それぞれ、やり方も違いますし、受ける側が求めている効果も異なります。

 

でも、どんなマッサージであれ、人の体をさわる仕事であるということに違いはありません。そしてマッサージよりも人の体をくまなくさわる仕事は他にありません。人間も動物も、スキンシップを好みます。それは、肌と肌がふれあうことそのものに、安心やリラックスをもたらす効果があるからです。わたしのやっている指圧だと、それに加えて肩こりや腰痛を和らげるなどといった効果がありますし、実際のところ受けに来られるお客さんはそうした効果を求めて来店されるわけですが、それ以前に、人に体をさわってもらうだけで気持ちがいいものなのだ、ということを理解しておくのは、大切なポイントであると思います。

 

もちろん、どんな触られ方でも気持ちがよいわけではありません。また、触れあうということはなにも肉体的に触れあうだけがすべてではありません。会話をするだけで相手を気持ちよくさせることができる人もいれば、一生懸命にマッサージをしても、そのやり方が悪かったら、不快な思いをさせてしまうことだってあります。

 

とはいえ、マッサージという仕事は、人の体をさわることによって、相手をリラックスさせたり安心させたりすることを基本にしているのだ、ということは言い切ってもよいと思います。そして、それはつまり、「マッサージとは人を癒やす仕事である」ということです。ですから、この仕事を職業にしている人はみな、プロのヒーラーであると自認してもよいはずです。もちろん、どんな仕事でもそうですが、上手い下手はあります。はっきり言うなら、この仕事は上手い下手の差が非常に大きいです。さらに、技術的な差だけでなく、施術者の意識レベルが施術の結果に大きく影響してしまいます。なぜかというと、癒やしの本質は、意識を癒やすことだからです。

 

意識レベルが高いということは、その人はそれだけ癒やされているということになります。なぜなら、意識レベルが高いほど、悩みや心配ごとや欲望や怒りといったものが少ないからです。自分が癒されていなければ、人を癒すことはできません。つまり、マッサージの奥義とは、高い意識レベルからくるエネルギーフィールドによる癒しの効果なのです。

 

デヴィッド・R・ホーキンズ博士は、意識レベル540以上をヒーラーの領域としていました。それだけ高い意識レベルになると、特になにかをするわけでなくても、その人と関わる人々はみんな癒やされていきます。言い換えると、意識レベル540以上の人の持つエネルギーフィールドには、それに触れた人の意識レベルを上昇させるパワーがあるということです。

 

とはいえ、マッサージセラピストの中でも、意識レベルが540に達している人は、わたしが知る限りでは、滅多といないのが事実です。ただ、それでも人を癒やす仕事についていることを自覚している人は、ある程度高い意識レベルの持ち主であることが多いといえます。原理としては、施術者の意識レベルが被術者の意識レベルよりも高ければ高いほど、深いレベルの癒やしをもたらします。また、経験上、施術者の意識レベルはある程度の年数を経て、その人の技術レベルにも反映されていきます。つまり、優れたマッサージセラピストになりたければ、意識レベルを向上させることが必要といえます。

 

人の体をさわる上で、当然のことですが、人体の仕組みについても理解する必要がありますし、心と体はべつべつのものではありませんから、こころについても学ばなくてはなりません。仕事を通じて学んでいくことも多いですが、一方できちんとした知識を身につける努力も必要です。そうしたことのすべてが、「人を癒やしてあげたい」という動機と結びついているなら、そのセラピストはヒーラーとして生きているといえるでしょう。

 

エゴを手懐ける

別の視点からみると、この仕事は『人に奉仕する仕事』だともいえます。仕事ですから、どんな横柄な態度のお客さんでも一生懸命からだを揉んであげなくてはいけません。誰の足の裏であっても丁寧にクリームをつけてほぐしてあげなくてはなりません。わたし自身もこの仕事をはじめた当初は「なんで俺がこんなやつの体を揉まないといけないんだ!」としょっちゅう投げ出したくなっていました。

 

人間の抱える問題とは基本的にすべて「わたし」の問題です。「なぜわたしがこんな目に遭わなければいけないのか」あるいは「なぜわたしではなく別の誰かなのか」というのが、人生における問題の本質です。つまり、エゴの問題です。エゴが幻想であること、すなわち「わたし」などという人はどこにもいないという真実についてはこれまでも書いてきましたし、これからも書いていくつもりですが、ここでは簡単に、エゴというものを「自己中心性」と捉えてみてください。

 

ふたりのマッサージセラピストがいます。AさんとBさんです。Aさんは自己中心性が低く、横柄なお客さんに偉そうな態度で「そこを揉め!」「もっと強く!」と要求されても嫌な顔ひとつせず、にこにこしながら「わかりました!」と快く応じました。Bさんは自己中心性が強く、おなじような態度のお客さんにあたったとき、嫌な客だなーと思って腹がたち、ろくに返事もせずいやいや施術をしました。

 

Aさんが施術したあと、お客さんは帰り際に、それまでとは真逆のほがらかな態度で「ありがとうね、あまりに肩こりがひどくてずっとイライラしてたけど、すっきりしたよ。また来るね。よかったら次から指名したいから、名前を教えてよ」と言いました。もちろんAさんは喜んで応じます。

 

Bさんの施術後、お客さんはぶすっとした顔で一言もいわず店のドアをばたんとわざと大きな音が立つように閉めて帰ってしまいました。お客さんは心の中で思いました。「この店には二度と来たくないな。肩こりがひどくてイライラしてたから、自分もちょっとそれが態度にでちゃったかもしれないけど、なんだか愛想の悪いスタッフだった。あまり疲れも取れてないし、こんなことなら来なかったらよかったなあ」。Bさんは「最初から最後まで態度の悪いやつだったな。でも手を抜いてやったから、もう二度と来ないだろう」と思いました。

 

こういうことはなにもマッサージに限ったことではないと思います。でも、この仕事は毎回がこういうやりとりなのです。実をいえば、お客さんの態度が横柄だということも、施術者の勝手な主観でしかないのです。上の例でいえば、お客さんの振る舞いは全く同じであったとしても、Aさんはそもそも、横柄で嫌な客だとは思っていない可能性が高いといえます。ですから、第三者的にみていれば、この仕事は施術者のエゴと被術者のエゴがどのように触れあっているかを観察できる格好の場であるともいえます。

 

先に書きましたが、わたしも初めはBさんのようなセラピストでした。ですが、この仕事を続けていきたいという気持ちが強くあったため、少しずつですが我慢することを覚えていきました。なかなか大変でしたが、すこしずつAさんのように振る舞えるようになり、そうするとお客さんの反応がとてもよくなっていくことに気がつきました。エゴは上から押さえつけようとしても激しく抵抗し、その試みはほぼ失敗に終わります。でも、エゴみずからが新しいあり方に居心地をおぼえると、その力をすんなりと手放すのです。

 

いまのわたしは、どんなお客さんでも、まったく同じ態度で接することができます。そして、ほぼすべてのお客さんに満足して帰ってもらっています。これは、この7年間でわたしのエゴが小さくなり、それに反比例して意識レベルが高まったからですが、この仕事をしていなかったら、こうなってはいなかったと思います。もっとも、この仕事をすることになった流れそのものに、なんらかの導きがあったのでしょう。このわたしの文章を読んだ人がもしもマッサージセラピストを目指すことになったとしたら、それも導きです。その際に、あなたがまず向き合うのは、自分自身のエゴとなるでしょう。

 

他のよいところ

この仕事のよいところは他にもたくさんあります。スピリチュアルな面では、人の体をさわることによって、段々と氣(エーテルやオーラと呼んでもよいです)というものに対する感受性が身についてくることです。もちろん、自覚して仕事をしていなければ、自動的にそのような能力が目覚めることはなかなかないでしょう。でも、肉体に触れているというのは見かけ上のことでしかなく、本質は人の意識に触れているのだ、という理解のもとでマッサージの仕事を続けていれば、やがて必ずわかってくるでしょう。また、上に書いたように自分のエゴを手懐けて、意識レベルを高めていけば、自ずとそのような霊的な感受性は開花します。

 

ほかの面では、たとえばわたしのように会社づとめという働き方そのものに違和感を覚える人にはよいかもしれません。この仕事は60分なら60分、お客さんの体を揉み終えればその仕事はそれで終わりですし、お客さんへの接待も必要ありません。歩合給なのでサービス残業などということもありません(忙しくて通常の勤務時間を超えて働くことはもちろんありますが)。なにより、職場を離れてしまえば仕事のことは一切忘れてしまえるところが最高です。もっとも、職場の同僚との人間関係や、自分を指名してくれるお客さんやお店の常連さんとは一定のつきあい(もちろん店内での話ですが)があります。でも、そこはそんなにストレスになるほどのものではありません。

 

また、仕事そのものが肉体労働ですので、毎日運動していることにもなります。わたしの場合は仕事でのパフォーマンスを高めるためにジムに通って体幹を鍛えたり体重コントロールを向上させる運動をしたりしていますが、そうしなくても基本的には健康的な生活を送れるでしょう。わたし自身がもともと肩こりがひどくてマッサージ屋に通い続けていたのですが、この仕事をする側になってからは、肩こりや首のこりはなくなってしまいました。

 

終わりに

悪い点とは思っていませんが、この仕事で高収入を得るのは難しいでしょう。女性のセラピストでオイルマッサージも施術できる人なら、月に40万円くらい稼げなくもないですが、お店が忙しいところか暇なところかに大きく左右されますし、指名がつくつかないでも違ってきます。でも、そこそこのお店でフルタイムで働けば、食べていくのに困ることはないと思います。お金を稼ぐことが第一であれば、この仕事を選ぶべきではありません。もっとも、一度どこかの店で働けば、お店の経営については簡単に覚えられるでしょうし、開業資金も比較的少なくて済む業態ですから、自分でお店をもってしまって、人を雇っていけば、大きく稼ぐことも可能です。そこは人それぞれでしょう。

 

この文章を読まれた方で、マッサージセラピストになってみたい、もしくは興味があるという人は、Twitterでわたしに遠慮なくなんでも相談してください。この仕事は人を癒やすことを通じて社会に大きく貢献できる仕事です。ひとりでも多くのよいセラピストが活躍して欲しいと思っています。