in SPIRE 内なる声をきく

あなたの世界を再構築するための情報です

プロローグ9 サイクルの終わりと次のサイクル

この記事で、プロローグというタイトルで綴ってきた一連の話はおしまいになります。以前にも説明しましたが、グルジエフのオクターブ理論は7の法則ともいいます。その概要は、ものごとはすべからく7段階のステップで進展するというものですが、そのうちの第3段階から第4段階および、最後の第7段階から次の新しいサイクルの第1段階の間にはギャップが存在します。このギャップは自力で超えることはできないとされ、超えるには外部からのショックが必要になります。

 

これをドレミファソラシドのオクターブで言い表すと、ミとファの間とシと次のドの間にはギャップがあるということになります。ピアノの鍵盤では、このギャップは黒鍵の不在という形で表現されています。

 

このプロローグという記事は、あくまでも私個人における昨年までの10年史という体裁をとってはいるのですが、記事の構成はこのオクターブ理論を意識したものとなっています。先の記事でも少し触れていますが、この10年間というのは、マヤ暦における長期サイクルが終わるとされている2012年の12月21日(この日付については諸説があります)を中心とした前後5年間になります。このタイミングで人類の意識や地球そのものの存在のあり方に大きなシフトが起きる(起きた)という見方をしている人々(私もその一人です)がいます。

 

この説は、そもそもはホゼ・アグエイアスという人が『マヤン・ファクター』という本で主張したのがはじまりとも言われているようですが、1980年頃から様々なチャネリング文書によって、概ねこの時期に相当するタイミングで地球のエネルギーがこれまでよりも高い周波数帯域(これは第三密度から第四密度へのシフトであると言われていますが、このことについてはいずれ別で書くつもりです)に移行していき、それに伴って地球とともにシフトしていく人々と、これまでと同じ帯域(密度)での転生を繰り返すことになる人々とに別れていくことになるという大筋のストーリーがいくつも伝えられています。

 

マヤン・ファクター 新版―2012年の真実(リアリティ)

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 そうした話の真偽についてここでは深く考えませんが、結論としては、私はおおむねこの考えを受け容れています。ただ、どのような変化があったにせよ、それがある日を境に起きた急激なことではなかったことはすでに明白と言えます。そこで、自分自身の人生におけるそのタイミングとされる時期を中心とした前後5年間の10年史というものを掘り起こしながら、この地球エネルギーのシフトという事象による影響をグルジエフのオクターブ理論を用いて検証してみようというのが、このプロローグという一連の記事の趣旨でした。

 

この記事は今回の最終回を含めて全部で9つのシリーズになりました。意図的にそのように構成したのですが、その意図はオクターブ(7)と2つのギャップを足した9ということです。そのような構成を考えたとき、一つ目のギャップに相当するのは記事でいうとプロローグ4となります。ここはちょうど2012年のところであり、個人的なできごとにおいては特筆するようなことはありませんでした。その代り、地球エネルギーのシフトという事象が起きていたと考えるなら、それが私にとっての外部からのショックであったということになるのかもしれません。

 

ちなみにこの10年が私にとってなんのサイクルであったのかというと、それはやはり意識の変容であったと言うよりほかはありません。その意味でも、その進展に欠かせない外部からのショックというものが地球エネルギーのシフトであったということなら、色々と都合がよいですね。私はこういった話をよくしますし、高次元といった概念について今後も触れていくと思いますが、この次元にいる私たちには、この次元より高い次元の世界のことを正確に知ることは不可能であるという考えを基本にしています。ですから、これらはすべて私はそう思うというストーリーでしかありません。

 

例えば魂であるとか、輪廻転生であるとか、あるいはオーラや気といった事柄についてもやはり私たちが完全に知りえることではないと思っていますので、どのような人物(それが仏陀やキリスト、あるいはマハラジやOSHOであろうとも)が述べるそのような概念についての話であっても『例外なく完全ではあり得ない』のだという考え方を、これをお読みの皆さんにも持っていただくことをつよくお勧めします。人間が人間である限り、人間に可能である認識を超えることはできません。仮に人間を超える存在が人間の体を借りて出現したとしても、その体が人間の体である以上、そこから出てくる言葉は人間の認識を超えられませんし、人間以上の存在が直接、彼らの持っている理解をそのまま私たちに語りかけてくることがあったとしても、人間である私たちがそのメッセージを正確に理解することはできません。

 

大切なことは、あなたがどう感じるか、どのような情報やメッセージを自分の現実として受け容れるかです。

 

ということで、前置きがとても長くなりました。以下は、2017年に起きたことですが、その意味について私自身が解釈を述べることはなるべく避け、事実の羅列に近い形にとどめておきたいと思います。先ほどの話の続きでいいますと、前回の石垣島サイケデリックという記事の内容がこのサイクルにおけるオクターブのシに相当すると私は考えています。そこまでがこのサイクルにおける自力で到達可能な最終段階となり、今回の内容が次のサイクルへ進むための外部からのショックであったとみています。

 

2017年の出来事

 
正月にみた夢

1月3日の朝、これまでみたことのない異常に鮮明な夢をみました。二匹の緑色の大蛇が出てきて、一匹が私の母親を襲っていました。私は母親を助けるために、その大蛇を殺しました。

 

 

3度目の石垣島

1月16日からみたび石垣島に旅をしました。この時は前回のようにハイヤーセルフと思われる存在が直接コンタクトしてくることはなかったのですが、滞在中(もちろんキノコを食べている間のことですが)は意識がとても明晰になり、自分の思考とは思えないような概念が次々に浮かんできました。前回にハイヤーセルフによってダウンロードされていた情報が一時的に解読可能になったのではないかと、自分では思っています。このときに浮かんできたことは当時のTwitterにいくつか書いていますので、この記事の末尾にすこし整理して掲載しておきます。

 

そうした情報とは別に重要なことがありました。キノコによるトリップ中に、離島ターミナル周辺を散歩していたところ、下の写真にあるカンムリワシの絵を地面にみつけたのですが、その際に突然、前回の石垣島で見せられた鳥人間のビジョンを思い出しました。

 

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カンムリワシ石垣島を含む八重山諸島に生息する鳥なのですが、私が観た鳥人間のビジョンはちょうどこのカンムリワシを人間の形にして、青やピンクといった派手な体色にしたようなイメージでした。ただ、この絵を見たときに、それとは別に興福寺迦楼羅像も頭に浮かびました。その時のことを知人のある方にリアルタイムで報告していたのですが、その話をするとその方から、なるほどヒンドゥー教のガルーダですね、という返答がありました。そこでガルーダについて調べたのですが、ガルーダはこんな姿です。

 

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私がみた鳥人間はこのような恐ろしい形相ではありませんでしたが、色彩の感じや全体的な雰囲気はまさにこのようなものでした。

 

 

ガルーダ(迦楼羅)とナーガ

ガルーダ(ガルダ)について調べているうちに、びっくりすることがありました。Wikipediaの記載を引用しますと、

 

その一族はインド神話において人々に恐れられるのたぐい(ナーガ族)と敵対関係にあり、それらを退治する聖鳥として崇拝されている。

 

とあります。そこでナーガについて検索したところ、下の画像が見つかりました。

 

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 どうやらこれがガルダがナーガを退治している様子のようなのですが、実は正月に見た夢に出てきた大蛇が、この絵に描かれるナーガと同じだったのです。夢では装束のようなものはまとっていませんでしたが、色も大きさも、ヒレのようなものがついているのも、まったく同じでした。

 

 

三度目の長期発熱

この年(昨年ですが)の11月に三度目の不明熱でまた寝込むことになりました。この時はいままでで一番長引いて、結局この年は仕事を休んだまま越すことになりました。

 

 

付録:石垣島で投稿したTweet

時系列順になっていますが、同じ内容についての連続したTweetはひとつにまとめています。内容については当時のままです。いま現在の私の理解、認識と異なるところもありますが、ここでは内容にコメントせず、そのまま掲載しておきます。

 

  • 地球人にとって悟りとは、異なる次元に自己を開くための必要条件だ。
  • この次元に存在する肉体精神機構は我々の自我のほんの一部でしかない。この地球で我々が悟りと呼んでいるものは、本当は自我を捨て去ることではなく、自我に対する誤った認識を捨て去ることだ。
  • たぶんこの7つの次元自体もより大きなオクターブの中に入れ子になっている。つまり、自己というものは無限に広がっている。どこまでの拡がりを自己と認識するかがその自我の意識レベルを表している。
  • 過去の様々なシーンを自分視点ではなく、俯瞰のような感じで思い浮かべて、記憶の再構成ができた。人間は過去に経験したことをすべて完全に記憶しているが、それというのも、過去も現在も未来も同時にいまここに存在しているからだ。正確には脳に記憶があるわけではなく、いまここから過去にアクセスしている。同様に未来のデータへアクセスすることももちろん可能だが、それはある程度の幅がある。ただ、それは現在の選択に委ねられるということではない。むしろ複数の未来から現在に影響が及んでいて、その影響の強いものが現在においてそれを選択させている。つまり、未来が原因で現在が結果である。
  • このガルーダはプレアデスから太古の昔に地球へとやってきた存在で、人類の進化にも関わっている。石垣島はそうしたプレアデス人の一部が最初に降り立った場所であり、そこに神秘的なマジックマッシュルームが生えているのも偶然ではない。
  • 糖分の供給が断たれることにより、脳がこの物質次元を固定的なものにする能力が弱まると、あらゆるものが固さ、確かさを失っていき、すべては空っぽの振動であることが明かされる。ちょうどこっちに来る直前に読んだオルダス・ハクスリーの知覚の扉にも、糖分欠乏によって幻覚が起こるということが書かれていた。その時は自分のこれまでの経験と照らし合わせてもピンとこなかったが、それは、そこまで脳を追い詰めたことがなかったからだった。
  • 人は目を開けて見ているものを外側の世界、自分の心の中を内側の世界という風に認識しているが、実はこれはどちらも人間の内面世界である。外側というのはこの物質次元よりも高次の次元に存在する超自我による観察意識であり、これは観照と呼ばれるものと概ね同じである。
  • 自我とは全体性における一つの座標であり視点である。肉体精神機構は自我が物質化したものであるが、それが自我のすべてではなく、七つある自我の体のうちの、ほんの末端の部分でしかない。